「そうだ、インドへ行こう」

中村天風という思想家がいる。

彼は日露戦争の軍事探偵として活躍した。

肺結核を発病し、心身ともに弱くなったことから人生を深く考え、人生の真理を求めた。

その結果、インドでヨガの聖者と出会い、真理を悟ることとなった。

僕は優しくも厳しい彼の思想に共感し、

彼の人生と自分の人生を重ね合わせた結果、次の行動が見えてきた。

「生」と「死」が入り混じったインドという国を、この眼で観てみたい。

そう閃いてからは早かった。

気付けば、デリー行きの往復チケットを携え、始めての海外への一人旅に、

鼓動を高鳴らせながら、大きなバックパックを背負い関西国際空港へ向かっていた。

就職活動を控えた大学3年生の夏であった。

インドで問われた「生」と「死」

オートリキシャーの通る道のどまん中を、悠々と歩く牛

喜捨を求める、手足のない物乞い

鼻を突く、犬の糞や食物の腐敗臭

観えるもの、聞こえるもの、感じるもの、

全てが衝撃であり、脳内からアドレナリンが出続けていた。

バラナシのガンジス川の辺りにある火葬場では、

生命を終えた亡骸が、輪廻の流れに身を委ねる様を観た。

中には、まだ小学生にも満たないような幼い子どもの遺体が、

その順番を待っていた。

「生きるとは何か?」

「死ぬとは何か?」

「両者は背反しているのか、あるいは一体なのか?」

あまりにも死が身近に感じられ、生を問われている気がした。

その日の夜、ガンジス川の辺りで一人、

キングフィッシャーというインドビールを片手に、こう誓った。

「死ぬときに、後悔しないように生きる」と。

アップルの創始者スティーブジョブスは、スタンフォード大学の卒業式でこう言った。

「If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.」

(毎日を人生最後の日だと思って生きれば、いつか必ずその日は来るだろう。)

何度も口に出して覚えてた彼の名言が、頭の中で何度も再生された。

ちなみに、ゲストハウスに帰る途中、犬の集団に追いかけ回され、

早くも危うく「死」を迎えるところであった(笑)

「もし今日死ぬなら、インドで修行がしたい」

「このまま、就活をするべきか?」

「就活を1年遅らせて、自分のやりたいことをやるか?」

アグラーにある「タージ・マハル」に思ったより心を動かされず、複雑な気持ちを抱え、

デリーに向かうバスの中で、黙々と考えた。

これからやることの、あらゆる選択肢を洗い出した結果、答えは既に出ていた。

「ここ、インドに戻ってきたい」

「インドで、何かに本気で打ち込みたい」

ゴールに向けて、あたかも一直線に伸びる「人生のマラソン」を、

始めて自分の意思で離脱しようと、覚悟した瞬間であった。

帰国後、たまたまtwitterで見つけた、

「インド・バンガロールでフリーペーパー事業の立ち上げメンバー 1名募集」

という投稿に運命を感じ、即申し込んで社長とSkypeで話し、トントン拍子で渡印することとなった。

インド・バンガロールの日系企業駐在員向けフリーペーパー事業

大学を1年休学して取り組んだことは、インターン生としての、

インド・バンガロールでの、日経駐在員向けのフリーペーパー事業の創出だ。

今ではデリーやムンバイにも支店を出しているようだが、

当時はバンガロールのみで、たった24ページの冊子だった。

以下一部「一般社団法人日本ギャップイヤー推進機構協会」への寄稿記事に抜粋したもの。

フリーペーパーのコンテンツは、現地のビジネスや生活情報(レストラン・ホテル等)であった。

具体的な仕事内容は、現地の会社やレストラン、ホテル等への飛び込み、

またはテレアポ営業で広告掲載の契約を取ってくるというものであった。

「ここに広告を掲載することによって、これだけのメリットがあって・・」と

営業を行う相手はもちろんインド人の経営者ばかりで、全て英語で行わなければならない。

営業を始めたばかりの時は、インド独特の英語や表現がほとんど理解できなかった。

電話では英語が全く通じず、

「Sorry..?Pardon..? I can’t get you..(君の言ってることが理解できない)」と

言われ、怪訝そうに電話を切られたことが何度もあった。

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